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No.138 Winter.2020

日本人が失ったものは全て落語の中にある

落語家

三遊亭 円楽さん

大学在学中、故・五代目三遊亭圓楽に弟子入りし、「三遊亭楽太郎」として、『笑点』大喜利のレギュラーに。
その当意即妙な回答が受け、一躍、お茶の間の人気者となった。1981年真打に昇進し、2010年「六代目三遊亭円楽」を襲名。「博多・天神落語まつり」をプロデュースするなど、落語界をリードするキーマンの一人として活躍中だ。二度の大病を経て、見事な復帰を遂げた円楽さん。
これまでの落語家人生と、落語にかける思いを語ってもらった。

取材・文/吉田燿子 撮影/齋藤久夫


左から、2011年FIFA女子ワールドカップドイツ大会金メダル、フェアプレー賞金メダル、2015年FIFA女子ワールドカップカナダ大会銀メダル

落語の高座を務める円楽さん。今は病院で定期的に検査を受けながら、多忙な日々を過ごしている。
横浜にぎわい座にて 撮影:加藤威史

2度の大病を経験し
新境地を開拓

――子供の頃から落語が好きで、青山学院大学では落語研究会に所属。在学中に付き人を務めた五代目三遊亭圓楽に誘われ、20歳の時、一門に入門した。

入門して、つくづく落語の難しさを感じましたね。落語は芝居と違い、声のトーンだけで老若男女を使い分けなきゃいけない。同じはなしでも演じる人によって、味も違えば作り方も違ってくるわけです。
いろんなお師匠さんたちと出会うたびに、新しい気づきがありました。僕は器用だから、言われたことはできちゃうんですね。でも、誰も褒めてくれなかった。27歳で『笑点』に出るようになり、テレビで売れちゃいましたから。世間て売れた人が嫌いだし、大して勉強もしていないから、「あいつの芸は…」と言われちゃうわけです。
売れ始めた頃は忙しくて稽古ができない。持っている噺も少ないし、テレビでは漫談をやったりと、横道に逸れてばかりいた。ある時、師匠に怒られたんです。「お前は忙しい、忙しいって茶坊主じゃあるまいし。そうやって消えてくんだ」って。それが悔しくてね。
自分で言うのもなんだけど、器用で天才型だから、切羽詰まらないとやらないのね。ちゃんと稽古するようになったのは、50歳を過ぎた頃。独演会をやるようになり、あらためて勉強する必要に迫られたんです。落語家である以上、高座にかけた噺が破綻することほど、恥ずかしいことはない。高座で恥をかきたくないから、「しようがねえな」ってんで、稽古するわけなんです。


――1981年『三遊亭楽太郎』として真打に昇進し、2010年『六代目三遊亭円楽(圓楽)』を襲名。順風満帆だった円楽さんを病魔が襲ったのは、18年9月のことだ。初期の肺がんで手術を受け、高座に復帰。翌19年7月には、検査で脳腫瘍が見つかった。

その2カ月半ほど前から、高座で、何を喋っているのかわからなくなることがあったんです。知り合いの医者に相談したら、心療内科を受診することを勧められました。それで主治医に連絡し、心療内科の診療とMRI検査を受けることになった。検査が終わり、病院の窓口で会計をしていると、看護師さんが来て、先生が戻れと。脳腫瘍が見つかったんですね。
4週間程入院して、ステロイドの点滴治療と放射線治療を受けました。8月11日から国立演芸場の高座に出て、1カ月ぶりに復帰したんですが、『浜野矩随はまののりゆき』を演り始めたら、なんとセリフがどんどん出てくる。うれしかったですねぇ。トントンいったら早くなり過ぎたので、矩随がおっかさんの元に戻ってくるところで、グッと感情注入して、ゆっくり演ってみたんです。後で(三遊亭)小遊三こゆうざさんから言われました。「病気する前よりうまくなったんじゃねえの」。「なわきゃねえだろう」って(笑)。
ともかく、高座のスケジュールは入院前に決まっていたから、休むわけにいかない。だから、疲れて呂律が回らなくなると、病気のせいにするわけ。「これ、私のせいじゃないんですよ。脳がイタズラするんです」「芸人である前に、俺は病人なんだからね」ってね。
とはいえ、世の中には同じ病気と闘っている方がいっぱいいる。そういう人たちから、「テレビで元気に活躍している円楽さんの姿を見ると、励まされます」と言われると、「やっぱり死ねねえなぁ」と思いますね。

まず、相手を好きになる。

忘れられない
師匠たちとの出会い

――先代からの指名で名跡を継ぎ、六代目として後進の育成に努める円楽さん。07年からは、東西の大物落語家が集まる「博多・天神落語まつり」のプロデューサーも務め、落語界全体の活性化のために力を尽くしている。

僕は自分のポジションを心得ていて、「名人」の域まではいかないようにしているんです。わかりやすくて面白い話、聞かせる話、ホロッと心に響くような話を大事にしたい。自分では暗い噺や難しい噺は演らないけれど、そういう演目が必要な時は、得意な人を集めてくればいい。
要は「プレイングマネージャー」なんですね。東京の落語界は、松竹や吉本のような事務所形式ではありませんから、芸人が中心となって全方位外交をしながら、落語の祭りをあちこちで作りたい。まだまだ落語を「敷居が高い」と感じている人は多いですからね 。
落語には舞台照明もセットも衣装もいらない。それなのに、噺を聞いているだけで、映像がありありと浮かんでくる。こんな芸、世界広しと言えども、他の国にはありませんよ。こんな芸が日本で創られ、受け継がれてきたこと自体、すごいことじゃないですか。そのすごさに、日本人は気がついていないんです。 義理人情、近所づきあい、おせっかい、大家さんの小言――日本人が過去に置き忘れてきた良いものは、落語の中に全部ある。「お隣さんが困ってんだからさ、なんとかしてあげようよ」という世界が、そこにはあるわけです。

myレシピ

ところが、戦後の日本は似非えせ民主主義を受け入れ、偽物の合理主義によって、他人との縁がズタズタに断ち切られてしまった。今、家庭や町内、地域や日本全体がズタズタになっています。年間約2万人もの自殺者を出している文化国家なんか、おかしいですよ。でも、解決策がないわけではない。それは「よい落語を聞くこと」です。落語の世界には悪人がいないし、いたとしても「馬鹿だね、この野郎は」と洒落のめす、柔らかい笑いです。
笑いが健康によい効果をもたらすことは、医学的にも証明されています。でも、ただ笑うだけじゃなくて、柔らかい心、人を許せる心を持つことが大事。イライラする自分がいるから、ストレスが溜まるんです。心を開いて、人が多少、自分の心に土足で入ってきても、腹を立てないだけの精神力を養うことが大切です。
人をつなぐものは「笑顔」と「言葉」。僕はたくさんの師匠たちに可愛がられて、ここまで来た。よく「円楽さんは、人の心をつかむのがうまいですね」と言われますが、相手を怒らせないよう、相手の心の中にスッと入る方法があるんです。「あいつはゴマすりだ」と言う人もいますが、ゴマをするには大変な手間がかかる。相手を よく知らなきゃ、相手の心の中に入っていくことはできませんから。
僕は人に好かれようと努力するし、「この人は、こういうくすぐり方をすると喜んでくれる」というのがわかる。生前の(立川)談志師匠にも、ずいぶん可愛がってもらいました。他のお弟子さんたちが「あの師匠がなんで?」と不思議がっているから、「あんたたちが避けてるからだよ」と言ってやりました。「楽太、なんで俺のとこに来るんだ?」と談志師匠に聞かれれば、「好きだから」って言っちゃう。まず相手のことを好きになり、「好きです」というオーラを素直に出す。人の心をつかむ秘訣があるとしたら、そこじゃないかな。
それが身についたのも、小さい頃、貧乏で苦労したからでしょうね。僕が育った東京・両国の下町は、みんなが互いに助け合う、落語の世界そのものでした。落語に は、今は日本から失われてしまった、大切なものがいっぱい詰まっている。〝日本人の忘れ物〟を探しに、落語に足を運んでもらいたいですね。

Profile

さんゆうてい えんらく
本名:会 泰通(あい・やすみち)
1950年2月8日横浜生まれ、東京・両国育ち。1970年4月青山学院大学在学中、五代目三遊亭圓楽に入門。1979年放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。1981年3月真打昇進。2007年11月より毎年「博多・天神落語まつり」をプロデュース。2010年3月六代目三遊亭円楽を襲名。


『流されて円楽に流れつくか圓生に』(竹書房刊)
著者:六代目三遊亭円楽
発売:2019年10月
価格:1,800円(税抜き)

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