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No.140 Summer.2020

初心者から常連さんまで
1人でも多くの人に講談を届けたい

講談師

神田 伯山さん

2007年に講談の世界に飛び込み、「神田松之丞」として活躍。
「日本一チケットの取れない講談師」の異名をとり、
2020年2月11日、真打昇進と同時に「六代目神田伯山」を襲名した。
講談界に彗星のごとく現れた千両役者は、コロナ禍という災厄とどう向き合い、未来に向けて講談の世界をどう変えていくのか。
若き変革者に思いの丈を語ってもらった。

取材・文/吉田燿子 撮影/齋藤久夫


――高校時代に落語と出会い、その魅力に取り付かれた。故・立川談志の高座に足を運び感動を覚えたのは、大学浪人が決まった直後のことである。

演芸の道に進もうと決めたのは、立川談志師匠の落語に圧倒されたのがきっかけです。好きな人の好きなものに触れれば、きっと得られるものがある。そう思い、談志師匠が好きだという講談を聴きに行きました。そこで初めて聴いた六代目神田伯龍先生の講談は、初心者にはわかりづらいところがありましたが、1年、2年と通ううちに楽しくなってきて。当時は講談の入門書やCDはほとんどなく、周りで聴いているのはお年寄りばかり。(まだ、誰も講談の面白さに気づいていない、これは宝の山じゃないか)と思い続けていました。
そして24歳の時、これも何かの縁と若気の至りで講談の世界に飛び込み、神田松鯉(しょうり)に弟子入りしました。77歳で人間国宝になったうちの師匠は、名伯楽で、ポカポカと暖かい太陽みたいな方。あぁ、この人のところに行きたいな、と―大正解でしたね。


夢中で稽古に打ち込んだ前座の修業時代

入門後は「神田松之丞」を名乗り、新弟子として修業をスタート。お茶汲み、着付け、お囃子の太鼓と、前座仕事に明け暮れた。
前座を務めた4年半は、誰にも相手にされませんでした。修業時代は気働きが大事で、気が利かない奴は全く評価されない。でも、いずれ二ツ目になれば、高座でしか評価されなくなる。その時が来たら俺は花開くんだと、自分を信じて、夢中で稽古を続けました。
今にして思えば、それで芸の貯蓄ができたんですね。売れっ子の前座は師匠方に連れ回されて、夜の飲み会にも出なければならない。忙しくてなかなか稽古の時間がとれず、ネタの数も増えないわけです。僕は初めから二ツ目や真打を目標にしていたから、家で稽古に打ち込んでいた。そのおかげで、二ツ目になると評価は右肩上がりで、ユーロスペース開催の「渋谷らくご」から声がかかったんです。

――渋谷らくごは初心者向けの会で、ネットでの情報発信にも積極的だった。これを機に「神田松之丞」はメディアの寵児となり、いつしか「日本一チケットの取れない講談師」と呼ばれるようになった。
真打昇進と同時に「六代目神田伯山」を襲名したのは2月11日のことだ。古典から新作まで幅広い演目を縦横無尽に演じ、聴く人の心を揺さぶる、その話芸の秘密とは。

浪曲師の故・国本武春先生がいいことをおっしゃっています。うまくなる秘訣は、「毎回ちょっとずつ変えること」だと。これは感銘をうけました。型通りにやるのではなく、高座に上がるたびに「これが伯山の最新バージョンだ」というものを見せる。それしかうまくなる方法はないと、これは自分自身も思っていたのですが、尊敬する先生に後押しされた気分です。
もう1つ心掛けているのは、初めて古典講談を聴いた人にも面白さが伝わるように、わかりやすく話すこと。古典講談というのは大衆芸能ですから、「いかに大衆に伝えるか」という工夫が必要になります。ただし、わかりやすさだけにこだわると、今度は常連さんにそっぽを向かれちゃう。お客さんを置いてきぼりにせず、それでいて野暮にならないよう気をつけながら、初めての方も常連さんも喜ばせなきゃいけない。それが芸であり工夫だと思うんです。

今はインプットの時
変化を感じてもらいたい

もちろん古典講談だけでなく、新作講談の台本も10本以上書いています。特に『グレーゾーン』は比較的自分でも好きで、YouTubeの「神田伯山ティービィー」でも好評を得ています。ただ、自分の才能は新作より、古典を脚色して膨らませる方にあると感じています。世間の需要と僕自身のやりたいことが一致しているのが、古典講談の世界。今はむしろ、「誰も聴いたことがない古典講談」を聴いていただくことに、力を入れたいと思っています。
僕はテレビやラジオへの出演も多いのですが、メディアでの活動は「名刺代わり」。伯山や講談のことをわかりやすく世間に伝えて、講談ファンや入門志願者を増やしたいのです。今、1年中開いている講談の寄席って、世の中に1軒もないんですね。それを復活させるためには、お客様と講談師の数を増やさなければなりません。講談の本丸である寄席を作るために、メディアに出演させていただいている。それが功を奏しているという実感はありますね。

お客さんと演者が一体となり1つの世界を創り上げるそのライブ感が講談の魅力

――真打の重責を果たしながら、テレビやラジオの出演も勢力的にこなす超多忙な日々。そんな日常は、コロナ禍という災厄によって、突然断ち切られることとなった。

今は心身の健康を保つため、毎日6キロほど走っています。雨で1日走れないと、気持ちがどうも欝々(うつうつ)としちゃう。日課のジョギングに加えて、これから筋トレも始めようかと思っています。それだけで、けっこう気が晴れますから。
講談というのはライブ芸なので、会場がどうしても密になってしまう。高座がなくなって仕事も収入もゼロになり、仲間も私も大きな打撃を受けています。コロナが収まったとしても、完全に元に戻るには相当時間がかかるでしょう。人前で喋るというのは思いのほか大事なことで、毎日寄席に出るのは芸をなまらせないためでもある。それができない今は、稽古するしかないのですが、本番が目の前にない稽古とは空しいものです。
だから今は、本を読んだり映画を観たり、講談や落語のDVDを見たり。今まで忙しくてなかなかできなかったことを、片っ端から消化しています。今のうちにいろいろインプットして、コロナが明けた時に「あぁ、意外に腕は衰えてないな。ネタも増えてるし、面白くなってるじゃねえか」と思っていただけるように。お客さんに何か変化を感じていただけたらうれしいな、と思っています。

私の根っこ

――講談師という職業は「絶滅危惧職」だという伯山さん。講談という芸能がこれからも生き続けるためには、何が必要なのか。

大事なことは「多様性」だと思います。僕は昔の講談も大好きですが、初心者にはどうしても敷居が高いところがある。これが落語なら、初心者でも「この人から入れば間違いない」という噺家が何人もいるんですが、講談は固くてとっつきにくいんですね。邪道だ異端だと言われるような人から、本格的な芸の持ち主まで、いろんなタイプの講談師が互いに芸を磨き合う。そんな多様性が、未来の講談界には必要だと思うんです。
僕はYouTubeをやるようになって、「講談の世界とはなんと狭い世界であることか」と痛感させられました。YouTubeに動画をアップすると、「わぁ面白い、こんな面白い芸能があるんですか」というコメントがたくさん寄せられます。耳の肥えた常連を喜ばせるだけでなく、より多くの大衆に講談を届けないといけない。そういう発信力が持てるかどうかが、今後はますます問われると思います。
YouTube のチャンネル登録者数も、今では14万人まで増えました。14万人超のネット視聴者と、高座に通ってくれる数百人の常連さんの両方を相手にする。それは非常に難しいことですが、それも含めて大衆芸能だと思うんです。一方で、以前は非常に閉鎖的だった講談界が、少しずつ変わり始めている。変わらなきゃいけない、という思いは常にありますね。
初めて講談を聴く方にお薦めしたいのは、色々な講談師をぜひ「生で」聴いていただきたいということです。例えば相撲の立ち合いの迫力が、テレビで観るのと客席で観るのとでは全く違うように、映像ではライブの10分の1も迫力が伝わらない。講談というのは、現場でお客様の脳を刺激し、想像を働かせながら、一緒に創りあげる芸なんです。頭の中を空っぽにして会場に来てくれれば、何も準備しなくてもわかるように、各々の講談師は工夫しているでしょう。
会場でお客さんと演者が一緒になって、1つの世界を創り上げていく。そのライブ感こそが至福であるということを、ぜひ知っていただきたいと思います。

〈2020年4月下旬取材〉

Profile

かんだ はくざん
1983年東京生まれ。前名は神田松之丞。2007年三代目神田松鯉に入門、12年二ツ目昇進。講談会や寄席のみならずテレビやラジオでも人気を博し、講談普及の先頭に立って活躍中。20年2月11日、真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。著書に『絶滅危惧職、講談師を生きる』(神田松之丞)など。

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