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No.143 Summer.2021

人が幸せになれるような音色を奏でたい

ヴァイオリニスト

宮本 笑里さん

元オーボエ奏者・宮本文昭の次女として生を受け、23歳でCDデビュー。
多彩なアーティストとコラボレーションしながら、クラシック音楽の枠を超え、独自の音楽表現を追い求めてきた。
コロナ禍で活動が制限される中、音楽家として今、何を思うのか。
ヴァイオリニスト・宮本笑里さんに話を聞いた。

取材・文/吉田燿子 撮影/角田修一


父に覚悟を問われ音楽家の道へ

――オーボエ奏者である父に連れられ、生後2週間でドイツに移住。大自然の中でのびのびと育った。

ものすごくおてんばで、いつも黄色い声ではしゃいでいるような女の子でした。家の裏には牧場があり、まるでハイジの物語のような世界。家の中には、父が練習するオーボエの音が常に流れていて、木管楽器のアンサンブルを間近に聞くこともできました。「本当にぜいたくな時間だったな」と、あらためて思いますね。

――小学校入学と同時に日本に帰国。ヴァイオリンを習い始めたのは、7歳の時のことだ。

同級生が皆、習い事を3つも4つも掛け持ちしているのを知り、母と一緒に、近所のスズキ・メソードの教室に行ったんです。そこでいろいろな楽器のレッスンを見せていただいたのですが、ヴァイオリンの先生が一番優しそうだったので、「これをやりたい!」と。
その3カ月後に父がドイツから帰国したのですが、「これはまずいことが起きた」と思ったらしくて。自分も大変な思いをして音楽の世界で闘っているし、ましてやヴァイオリンは競争が厳しい世界。「娘がそんな世界でやっていけるのか」と不安になったようで、すごく反対されました。父方の祖父もオペラ歌手だったので、娘の私にまで〝2世〟のつらさを味わわせたくない、という思いもあったようです。でも、いざレッスンを始めてみたら、すぐにヴァイオリンの魅力に取りつかれて。「次はこんな曲を弾きたいな」と、ワクワクしながら練習していましたね。
でも、再びドイツに渡航した中学1年生の時、父にこう言われたんです。「ヴァイオリストになるなら、そんな甘い気持ちではやっていけない。本気でやるのか辞めるのか、どちらかを選びなさい」と。
自分はもうヴァイオリンから離れられないと思い、「本気でやらせてください」と父に言いました。それからはコンクールに向けて、人生で経験したことがないような猛練習が始まりました。あまりの厳しさに、泣きながら練習したこともあります。今までのんびりやってきた分、人一倍頑張らなきゃ、と必死でしたね。
父はオーボエ、私はヴァイオリン―楽器は違えど、心揺さぶる音楽の表現には共通のものがある。父は、ビブラートやあらゆる表現手段を使って、楽器を〝歌わせる〟方法を教えてくれました。

―――14歳で「ドイツ学生音楽コンクールデュッセルドルフ」第1位入賞。その後、東京音楽大学の付属高校と東京音大ヴァイオリンコースを経て、桐朋学園大学のカレッジ・ディプロマ・コースに編入学。宮本さんは小澤征爾音楽塾・オペラプロジェクトや「のだめオーケストラ」(※)に参加し、演奏家としての道を歩み始める。

当時、同年代や下の世代には、英才教育を受けてコンクールで何度も入賞し、コンサートでは協奏曲をたくさん弾いているようなスゴい子が多くいました。刺激も受けましたが、正直ショックでしたね。「今までのんびりしてきた分、こんなに差がついてしまった。どうしたら追いつけるんだろう」と思い、1日17時間、休む間もなく必死で練習していました。
桐朋のディプロマ・コースに編入学したのは、当時師事していた堀正文先生が「このコースなら、演奏に集中して勉強できるよ」と勧めてくださったのがきっかけです。桐朋では小澤征爾音楽塾のオペラプロジェクトにも参加して、本当に数えきれないほどの貴重な経験をさせていただきました。
その後、J‒POPやロックの曲も演奏するようになったのは、クラシックだけのヴァイオリニストとは違う立ち位置で、「私なりの音楽を発信したい」という強い思いがあったから。周りの先生や同級生の反応は冷ややかで、自分でも葛藤はあったのですが、「自分は自分」という思いは変わらなかった。他の人に何を言われようと、めげずに続けて来られたのがよかったのかな、と思います。

還暦なんて、まだまだ若造。60代でもっと深く吸収したら、80代は面白いだろうな、と。

出産・育児を経て音に奥行きが生まれた

――2007年『smile』でCDデビュー。TBS系テレビ『世界遺産』のメインテーマやNHK大河ドラマ『天地人』の紀行テーマの演奏も担当し、宮本さんは着実にキャリアを重ねていく。

デビューしてからは、とにかく目の前の壁を乗り越えるのに必死でした。人に何かを伝えられる音楽を奏でることが、自分は果たしてできているのか―モヤモヤしていた時期もありましたが、コンサートも回を重ねるごとに、自分の100%を出せるようになって。経験を重ねることって大事なんだな、と思いましたね。
ただ、デビュー5周年を迎えた頃、ふと思ったんです。「私は、自分のやりたいことをやって生きているけれど、自分の理想の音って、本当にこれでいいのかな」と。
そんな時に出会ったのが、ロマ系ヴァイオリニストのロビー・ラカトシュさんでした。ラカトシュさんは、「演奏する時は呼吸だけではなく、背中を意識するんだよ」と教えてくださったんです。
ヴァイオリンは不自然な格好で弾くので、肩や首に自然と力が入ってしまう。それで上半身ばかり意識しがちなんですが、体幹を意識すると、力が抜けて、いい音が出せるんです。弾く姿勢によって、音色は劇的に変わる。「頭で考えすぎるより、音楽を感じて奏でることが大切」ということも、彼からもらった大きな学びの1つでした。

myレシピ

――28歳で結婚し、1女の母に。子育ての経験は、思いがけず音楽にも生かされることとなった。

娘が生まれたことで、体幹の使い方もさらに変わりましたね。赤ちゃんを抱っこしていると、二の腕や体幹が鍛えられるんです。コンサート本番ではハイヒールを履くので、以前は疲れるとふらつくこともあったのですが、それが一切なくなり、「地に足がついている」「立ち姿がすごく変わったね」と言われるようになりました。子育てと演奏活動を両立させる必要から、短時間に集中して練習できるようになりましたし、音の奥行き感も、一層わかりやすく伝えられるようになった気がします。

――昨年からのコロナ禍は、宮本さんの生活を一変させた。コンサートが相次いで中止になり、新作EP『Life』のリリース・ツアーも2回延期された。

最初は「大丈夫、大丈夫」と、自分の気持ちに見て見ぬふりをしていたのですが、コンサートの中止や延期が積み重なるにつれ、心の中はどんどん傷ついていきました。生のライブには独特の音の響きや空気感があり、演奏者は聴衆から大きなパワーをもらえます。ライブ会場とは、自分と聴衆が同じ空間に身を置き、心を1つにできる唯一の場所。それを奪われてしまうのは、こんなにもつらいことだったのかと、あらためて思い知らされたのです。
その半面、SNSやネットで多くの人たちとつながれることがわかったのは、大きな発見でしたね。昨年は私も、無観客配信ライブや、インスタライブをやらせていただきました。どんな状況であれ、違った形で発信しながら、次につなげることが大事なんだな、と思うようになりました。
先日、延期に延期を重ねたビルボードライブの『Life』リリース・ツアー初日を、無事迎えることができました。こんな時期に、いろいろな対策をして来てくださった方がいたことは、本当にありがたいと思っています。今後も感染対策に最大限配慮しながら、できる限りライブやコンサートを頑張って続けていきたいですね。
私にとって理想の音楽家は、常に父なんです。いつまでたっても追いつけない存在ではあるけれど、少しでも近づけるよう努力していきたい。そして、音楽の力で人を幸せにしてあげられるような―そんな音色が奏でられる音楽家になりたいな、と思います。


(※)のだめオーケストラ フジテレビ系列ドラマ『のだめカンタービレ』のために結成されたオーケストラ

Profile

みやもと・えみり
ヴァイオリニスト。14歳でドイツ学生音楽コンクール デュッセルドルフ第1位。小澤征爾音楽塾・オペラプロジェクトや「のだめオーケストラ」に参加し、2007年アルバム『smile』でCDデビュー。コンサートやテレビ、CMなど幅広く活躍中。元オーボエ奏者・宮本文昭の次女。

Information

太古に存在した北米ララミディア大陸の恐竜や古生物をテーマに、宮本笑里とロックギタリストDAITAがコラボレーションしたEP。「恐竜をほうふつとさせる壮大な音楽。ギターとヴァイオリンが戦っているようなシーンもあり、それも聴きどころの1つです」

宮本笑里×DAITA『ララミディア』
2021年6月30日発売
Sony presents DinoScience 恐竜科学博
~ララミディア大陸の恐竜物語~
2021@YOKOHAMA
2021.7.17(土) ‒ 9.12(日)
パシフィコ横浜 展示ホールA
https://dino-science.com

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